無職のボランティアから任意団体を立ち上げ、株式会社をつくり、ワインバーを始めてしまった現在に至るまでの5年間。今や笑い話、紆余曲折ないまっすぐ一本道の私の物語。
福岡 佐知子
カタログ△ 代表
株式会社 三角形 代表取締役
むなかた市民フォーラム 理事
※このコラムはNPOセンター発行のむなかたNPOマガジン「ふらぐ」で2017年、4回にわたって掲載したものをまとめたものです。
01.ある日突然 職場がなくなった
それまで公共施設で約10年、事業の企画やコーディネートの仕事をしていましたが、退職を機にアートから地域にフィールドを移行しました。タイミングよく転職した先は、まちづくりを主な事業にしていた会社でした。転職して2ヶ月後…ある日突然会社がなくなり、目下のお金を得る仕事とやりたかった仕事の両方を失いました。
その事件で一つだけ学んだことがあります。やりたいことでも、お金でも、人に任せている限りはその人の都合でどうにでもなってしまうということです。
長年、公共施設で働いていた私は働く環境は当たり前にあるものだと思っていました。そして、好きでやりがいのある仕事も。遅まきながら、その事件によって初めて知ることとなったのです。私のやりたいことは私しか叶えられないと。そう考えると、今からやりたい仕事をしている会社を見つけて、履歴書を書いて、やっとのことで入っても、明日会社がなくなるかもしれない。そんなまどろっこしいことはやってられない。せっかくなので、自分で何かやろう。
何をやるのかは何もありませんでしたが、その時思ったのはそれだけでした。
仕事がない、お金がない、人脈もない、という三拍子揃った私が唯一持っていた武器は、同じ境遇を乗り越え、一緒に何かやろうと思えるパートナーがいることでした。
02.流れ流れて… スナックに?
想定外の事件に巻き込まれ、仕事を失った私たちはまず、関係のある方たちへお詫びや説明に伺いました。「すみません…」としょぼくれる私たちに、「あなたたちが悪いわけではないから」と励ましてくれたり、「これからどうするの?」と心配してくれたり…。そんなマイナスからのスタートで、やりたい漠然としたイメージや想いはあれども、仕事もない、何一つ実績のない私たちは、最初に未来への期待を込めて、団体名をつけました。そこで、「名刺」と「事務所」という最強アイテムに出会うのです。
名刺はいわゆる両A面、一面はデザイン会社の企画営業の肩書き、もう一面はできたてほやほや、実績なしの団体「カタログサンカッケー」のものでした。大勢の人と出会う私たちの特性を見て、デザイン会社の広報媒体として無料で作成してくださったのです。
事務所を借りるきっかけも突然やってきました。私たちの漠然としたやりたいことを話していると、ある方がそれには地域に実際の住所を置くこと(信頼)が必要だと力説するのです。もちろん、仕事もお金もない私たちが事務所の費用を払えるわけもありません。「いえいえ、お金はないです」と反論すると、自分の物件が長く空いていて払えるだけの家賃でいいから、と半ば説得され、連れて行かれた場所は…
昭和で時間が止まったままのスナックでした。
03.スナックと私をリノベーション
人からの勧めに従い、半信半疑でまちづくり団体の拠点として昭和スナックを借りました。長らく空いたままの場所を当時の私(無職)が払えるだけという破格の家賃で、敷金礼金なし。勤め先の社長が逃げてスナックにいるとなると、今となってはネタの一つですが、当時は戸惑うばかりで自分たちですら出入りを避けていました。
その時期、念願叶ってまちづくりの仕事に声をかけていただきました。それは、黒崎で働く50人にインタビューをして、そのメンバーから新しいまちづくりの活動体を立ち上げるというものでした。何回目かの会議のときに「ここが毎週開いていたらふらりと寄れるのに」という言葉がこぼれました。日中は終日店に立ち、会議も出席できず外部との関係性が閉鎖的になるという課題を抱えた商店主の言葉でした。
そこから毎週木曜日は「サンカッケーナイト」と称した異業種交流会を開きました。3年間ほぼ休みなく。スナックを借りて事務所と言い張った、それは改装なきリノベーションでした。もともとの機能『スナック』を新しい機能『まちづくり団体の事務所』に用途変更(!)したことにより、場所の面白さとコンセプト、集まる人の面白さが化学反応を起こすのです。この転換点から、自分たちの思い描く「参画系の社会づくり」というビジョンが「共感」という推進力で大きく跳ねることを実感しました。
いよいよ、終わらない最終回へつづきます。
04. 4年目にしてやっと始まる
事務所を持ったこと、その事務所を『場』として開いたことで、何も持っていなかった私たちは有形無形問わず沢山のものに恵まれました。やっと自分たちなりのスタートをきるべく、2015年事務所を移転。2016年にはその事務所を夜からワインバーとし、2017年12月には隣に洋風惣菜店をオープンしました。4年目にして、まちづくりNPOであるカタログサンカッケーと企画とPRの会社である株式会社三角形の両輪をもって、経済的にも気持ち的にもやっと立ち上がったのです。引っ越した場所は、13店舗中8店舗が空き店舗という黒崎で一番小さな商店街でした。
成り行きのままに始めた飲食業にはいくつもの効果がありました。それは誰にでも開かれていること、そこから人とのつながりが増えることです。そして、それにお金をいただけるということです。おかげで、事務所兼BARから総業店へと商店街のシャッターを開けることができました。私たちのお店のお客様は、言葉は悪いですが、共犯者です。街を楽しく、彩り豊かにしていく仲間です。ですので、自主事業ではその機会の提供や再投資を心がけています。
誰にでも起こりうる、ちょっとしたハプニングから始まった私の起業ですが、今となっては笑い話。不安な顔も嬉しい顔も知っている仲間たちに囲まれて、今日も美味しくお酒を飲んでいます。
おわり